「Never End The Game!」 第6章


「……傷だ」
 私の言葉に、皆の表情が堅くなる。
「ディスクに傷がついて、それが彩のデータに支障をきたしてしまったんだ」
「……そんな」
 泰紀はベッドで横になっている彩の頬を撫で、力無く呟いた。
 私達は今、いつもの病室の中にいる。丈一に彩をここまで運んできてもらい、ベッドに寝かせている。もっともこんな事をさせた所で何の意味も無いのだが。
 彩のこの状態。それはまさしくデータ読み取り不可能状態。つまりディスクに傷がついた状態だった。何らかの理由でディスクに傷がつき、その傷が彩のデータ読み取りに影響を及ぼしたのだ。この場合、ゲームが始まったとしても、彩を登場させる事が出来ない。
「さっき私が彩の体に乗ろうとした時、彩の体にノイズが走った。あれは、無理矢理彩の存在というデータを読み取ろうとした為に走ったんだ」
「畜生! 何てこった!」
 泰紀が床を叩き、叫ぶ。私も足があったらそうしたかった。やっと法子の問題を解決し、これからエンディングに向かおうとする所だったのに、どうしてこんな事が!
 他のキャラ達も動揺を隠せないようだ。特に法子の慌てぶりは酷かった。
「マスターぁ。彩さん、どうなっちゃうんですか?」
「……」
 私は法子にかける言葉が見つからなかった。私の力では、これはどうにかなる問題ではなかったからだ。今まで感じた事の無い、耐えられないような静寂が室内を包んでいた。
 私は目を開けない彩の枕元に立った。皆は、一言も口を聞かず、私の言葉を待っている。
 私はゆっくりと落ち着いた口調で皆に告げた。
「いいかみんな、よく聞くんだ。私の存在は全てディスクというものに入っている。つまり、そのディスクに傷がつくと、必ず何らかの形でそれがこの世界に影響してくる。何故傷がついてしまったのかは分からないが、とにかくそれで今回は彩が再生不能に陥った」
「……それで?」
 泰紀が真剣な眼差しで私を見る。皆も一直線に私を見ている。ここで、私は彼らに激励の言葉をかけてやりたかった。だが、言えなかった。
「それだけだ」
「それだけって……彩さんは元に戻らないんですか?」
「……我々では、戻せない」
「そんな………」
 美優が愕然と肩を落とす。いつもは喧嘩ばかりしている彩と美優。だが、それも今を思えば微笑ましい光景だったのかもしれない。私はまるで自分が彼らを落胆させたように気持ちになり、どうにもやりきれなくなる。
「傷はユーザー様の世界での出来事だ。……我々がどうにかできる問題ではない。こればかりはどうにもならない」
「ううっ……彩さぁん!」
 法子が涙ぐみ、ベッドで寝ている彩に抱きつく。いつもなら泣くなと叱るところだが、今は何も言えなかった。私の方こそ、泣きたいくらいだった。
 これで終わってしまうのか? こんな所で終わってしまうのか? まだ一度だってエンディングを迎えていない。一度だって、ユーザー様を満足させていない。なのに、終わってしまうのか?
「……ちょっと。マスターまで、そんな顔……しないでくださいよ」
 その時、彩の口が開いた。皆が一斉に彩の顔を覗き込む。彩は汗一つ流してはいないが、苦しそうで、でも、確かに目を開けていた。
 私は思わず、彩の胸に飛び乗る。
「彩! 無事だったのか!」
「ちょっと……苦しいです、マスター」
「えっ? あっ、すっ、すまない」
 いきなり胸に乗るのは酷だったようだ。私は大人しく彩の胸から降りて、枕元に移動する。
「完全にデータが壊れたのかと思ったぞ」
「まぁ、何とか生きてました。でも、正直、かなりきついっすね……。気ぃ抜いたら、また意識がぶっ飛びそうです」
 いつもの彩では考えられないような、切れ切れの言葉だった。完全に壊れてはいなかったものの、かなりの痛手を負っているようだ。
「……やっぱり、ゲームは出来ないか?」
「かなりきつい……ですね。でも、やらなきゃいかんでしょ?」
 彩はゆっくりと起き上がる。すると、彩の体にノイズが走る。無理にデータを引き出そうとしている為だ。彩の顔にも苦痛の色が簡単に見て取れた。こんな状態では、とてもゲームなど出来ない。
「無理はしなくていい。傷が出来た事はユーザー様も分かっているはずだ。だったら、シャットダウンをしたとしても不思議だとは思われない」
 私が言うと、彩は私を睨み下ろすような目を私に放つ。
「私、言いましたよね? シャットダウンなんかしたら……バグにするって」
「彩……」
「私達、何の為に生きてるんですか? ユーザー様を満足させる為。ただ、それだけじゃないですか。それが出来なくなるんじゃ……意味無いじゃないですか」
「……」
「意識がある限り、私、出ますからね」
 彩は無理矢理起き上がる。再び走るノイズ。彩は態勢を崩してその場に崩れ落ちる。それを泰紀がしっかりと受け止めた。
「その体で、ユーザー様を満足させられるのか?」
「……泰紀。あんたは私の味方だと思ったのに」
「味方さ。みんなのね」
 笑って答える泰紀。こんな時でも、泰紀の口調は変わらない。でも、それが彩や私にとっては励ましになった。
 しかし実際問題、このままの状態ではとても彩を登場させる事は出来ない。気合いだけで何とかなるとも思えない。痛みを押し切ってゲームをやったとしても、いつまで保つか分からない。途中で倒れる事にでもなったら、それこそユーザー様のやっている目の前でシャットダウンする羽目になってしまう。
 その時、聞きたくない音が聞こえてしまった。そう、それはあのサイレン音だった。
「……確かめようとしているんですね、きっと」
 丈一が上を見てぼやく。
「ちゃんとゲームが出来るかどうか、ですね」
 美優も上を見上げる。そこにはあってはならない瞳があった。
 そう。それはユーザー様に対する、憎しみにも似た瞳……。
 傷をつけたくせに、なのに何故まだ私達を苦しめようとしているのか。そんな言葉が聞こえてきそうで、私は嫌だった。
 彩を見る。彩は懸命に起き上がろうとしている。あまりにも健気だ。それはゲームの中の彩と変わらない。
 私は伊藤ちゃんを見る。伊藤ちゃんは今度こそ、合図を待っていた。私は躊躇する事無く、伊藤ちゃんに言った。
「伊藤ちゃん、シャットダウンだ」
「分かりました」
 そう言うと、伊藤ちゃんはカメラに付けられたあるボタンを押した。それで、もうカメラが我々の世界を映し出す事は無い。
「……マスター。本当に、バグにしますよ」
 彩は気迫じみた言葉を吐く。だが、手を出そうとはしない。出さないわけではない。出せないのだ。今の彩には、無理なのだ。
「シャットダウンが発生しました。繰り返します。シャットダウンが発生しました」
 抑揚の無い女性の声。聞き慣れている声なのに、この台詞は生まれて初めて聞いた。出来る事なら、一度も聞きたくはなかった。
「マスター……。もう、私達、何も出来ないんですか?」
 美優が私を持ち上げて、抱き締める。その目には、本来ならばユーザー様が見るべき涙があった。そして私は、その涙を止める術を知らなかった。


 シャッウトダウンを行なってから、丸一日が過ぎた。当然、ゲームは行なわれず、この世界はまるでRPGさながらの、暗雲に満ちていた。
 その間、私は多くのエキストラ達の訪問に見舞われた。一体何が起こったのか、これからどうなるのか……。私は訪ねてくるエキストラ全員に丁寧に事情を話した。すると、どのエキストラ達も一様に納得してくれて、彩にお辞儀をして部屋から出ていった。
 私はエキストラ一人一人に事情を話す度、自分が情けなくなった。まるで皆からお前は監督失格だと言われているような気分になった。
 彩の状態は一向に良くならない。それはそうだ。これは人間のかかる病気とは違う。寝ていれば治るというものではない。
 誰も病室から出る事無く、また、誰も何も言う事無く、一日が過ぎた。一日も過ぎると訪ねてくるエキストラもいなくなり、室内は次第にあってはいけない感情が支配していくようになっていた。
「……何で、ユーザー様は傷なんかつけたんでしょうね」
 誰に言うでもなく、美優が言う。答えなど求めてはいない。でも、言わずにはいられなかったのだろう。
「エンディングまであと一歩だっていうのに、どうして傷なんか……。何を考えているのか、分からないです」
 美優のぼやきは続く。皆、静かに首を縦に振る。
「きっと、何か事情があったんだろう」
「どんな事情なんですか?」
「少なくとも、自分から進んで傷をつけるとは思えない。何らかのハプニングが起きたんだ」
「ハプニングって何ですか?」
「……美優。私にだって分からない事くらい、分かるだろう?」
「分かってます。でも、言いたいんです。……ハプニングって何ですか?」
「……」
 美優は自分で矛盾した事を言っていると分かっているんだろう。その気持ちは痛い程分かる。誰しもが、誰かに食ってかかりたいのだ。誰も答えられないから、余計言いたくなる。悪循環だ。
 このまま、捨てられて終わるんだろうか……。何度も思う。彩が復活しない限り、ゲームは再開出来ない。私達だけの力では彩を治す事は出来ない。ならば、ずっとこのままゲームは出来ず、そしてやがては捨てられ、何も出来ずに人生を終えてしまう……。
 そんな最悪のシナリオばかりが浮かぶ。いいシナリオなど思い浮かばない。何故なら、
いいシナリオは奇跡だけだからだ。
 そんな沈黙を、泰紀の重いため息が破った。
「マスター。俺、ちょっと出かけてきていいですか? どうせ、彩がこの有様じゃゲームは出来ないでしょうから、いいですよね?」
「ああっ、行ってこい。……私も連れていってくれないか?」
「いいですよ」
 力無く答えた泰紀は片手で私を器用に持ち上げ、そのまま誰にも何も告げずに部屋を出ていった。そして誰も、そんな泰紀に声をかけなかった。


 病院どころか、この世界全体が沈んだように暗かった。このまま、海底の底にまで沈んでいってしまうかのような沈痛な静寂。こんな静寂はゲームの世界だけにしてほしかった。
 泰紀と私も、一緒に歩いているものの会話は無い。泰紀は当ても無く街を彷徨っているようだ。
「マスター……。本当に俺達の力だけじゃどうにもならないんですかね」
「……外の世界の事に、我々は手出し出来ない」
「そうですか……」
 何度この台詞を言ったか分からない。言う度に、自分の無能さに腹が立つ。正直、ユーザー様に対する憎しみもあった。何故こんな事になったのか、そう問いたかった。
 あなたはこの世界の事を知らない。でも、薄っぺらいディスクの中にだって確かに世界は存在して、その中の人物達はただあなたを満足させる為だけに生きている。それを分かってほしい。分かってくれないと思うが、分かってほしい。
 泰紀はおもむろにポケットから煙草を取り出し、吸い始める。肘で私を抱えて、器用に吸う。
「現実でも吸うんだな」
「今回が初めてです。……味なんか分かりませんけど、外の世界だとこれ吸うと気が落ち着くらしいですから」
 紫色の煙が空に吸い込まれていく。その様子を見つめながら、外の世界ではユーザー様も同じような事をしているのだろうか、と思った。
 サイレンも鳴らなければ、エキストラ達の何気ない風景も無い。荒涼とした街中をただただ歩く泰紀と私。一体どこまで歩き、そしていつ立ち止まれるのか、分からなかった。
「……もしもし?」
 その時だった。後ろから声をかけられた。泰紀が体ごと振り向く。そこには白衣を着た少女が立っていた。茶色い髪の毛が首元近くまでのびていて、背格好は彩と同じくらいに見える。見た事の無い顔だった。
「エキストラさんだね? 本当に申し訳ない事をした」
 私の言うべき台詞を、泰紀が言った。病室で散々私が言った台詞だ。泰紀はそれを覚えてしまったのだろう。
 しかし、その少女は頭に「?」マークを浮かべたような顔になる。
「エキストラ? 違いますよ〜。私はメンテナンサーです」
「……メンテ…何だって?」
 聞き慣れない言葉だった。少女は泰紀に抱かれた私の顔を覗き込む。エキストラにしては何も知らなそうな顔だった。
「あなたがこのゲームの監督さんですか? 何だか変な形してますね。ぷぷっ」
 目の前で笑われて腹が立った。何だ、こいつは。エキストラじゃないのか? 
「君……今、変な形してるって言ったよね。という事は、他のゲームの監督さんの形とか知ってるわけ?」
 泰紀が興味深い事を言った。腹の立つ事を言われて、肝心な部分を聞き逃していたようだ。
「はい。だって私、メンテナンサーですから。このゲームで五本目かな?」
「……言っている意味がさっぱり分からないんだが」
 まったく要領を把握していない私に、少女はビシッと指差した。
「つまり! このゲームを買ってくれたユーザー様が、このディスクを修理に出してくれたって事です。で、データ修復人として私がこの世界にやってきたわけです」
「………」
「お分かり?」


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